菜の花畑から官庁街、福岡の繁華街へと進化発展した明治・大正期。
 昭和に入ると東中洲の繁栄ぶりは絵葉書の中からも存分に伝わってくる。大正末に建てられた名物の福助足袋広告塔は昭和8年に西大橋の架け替えで撤去されるまで、東中洲のランドマークであった。広告塔の消滅と前後して同年には広告塔の向かい、那珂川の袂にカフェ・ブラジレイロが開店。北原白秋や夢野Q作、火野葦平らが通う文学サロン的な役割を担い賑わった。戦時下となり昭和19年の建物強制疎開でブラジレイロは立ち退き、跡地には後年九州文学を牽引した原田種夫の言葉を冠した記念碑が立つ。ブラジレイロは支配人だった中村氏が戦後に博多・奥堂に再興し、現在は店屋町で盛業中である。昭和20年6月の大空襲で中洲も壊滅、戦後は歓楽街として復興し昭和30年代には映画館数が17を数え最盛期を迎えたが、今は昭和21年開業の中洲大洋ただ1館が残るのみ。日活ホテル〜城山ホテルも、福岡玉屋も今は無く、昭和20年代〜30年代の雰囲気を伝えてくれるのは中洲大洋や花関ビル(年末解体予定?)、そして博多川沿いの川丈旅館のみである。川丈旅館は、100年前に北原白秋や吉井勇らが「五足の靴」紀行をスタートした記念すべき初日宿泊地、旅館の脇には文学碑が建つ。


西大橋と東中洲(昭和10年頃)西大橋の架け替えも終わり、河畔に白亜のブラジレイロが見える。

F3351■東中洲の盛観(大正末〜昭和初期) F3352■水上公園と東中洲遠景(昭和初期)
F3353■東中洲遠望(昭和7年頃)玉屋や福助足袋広告塔 F3354■東中洲(昭和7年頃)名物・福助足袋の広告塔
F3355■西大橋より玉屋(昭和8年)西大橋は架け替え中 F3356■東中洲(昭和5年頃)
F3357■東中洲友楽館(昭和初期)映画館 F3358■東中洲(昭和7年頃)
F3359■西大橋と東中洲(昭和9年頃)ブラジレイロ F3360■東中洲(昭和8年頃)玉屋増床前?右手は生田菓子舗
F3361■東中洲(昭和7年頃) F3362■東中洲(昭和8年頃)
F3363■東中洲(昭和9年頃) F3364■東中洲(昭和5年頃)
F3365■東中洲(昭和27年頃)手前は中洲大洋 F3366■東中洲(昭和26年頃)手前に進駐軍?
F3367■東中洲(昭和30年頃) F3368■日活ホテル(昭和30年頃)隣にモンローやディマジオが宿泊した国際ホテルも見える
F3369■那珂川の清流と西大橋(昭和30年頃) F3370■那珂川と西大橋(昭和40年頃
F3371■東中洲(昭和31年頃) F3372■東中洲(昭和35年頃)
F3373■那珂川と西大橋(昭和35年頃) F3374■那珂川夜景(昭和40年頃)
F3375■東中洲の盛観(昭和40年頃) F3376■那珂川夜景(昭和40年頃)
F3377■西大橋と中洲(昭和51年頃)市内電車廃止後 F3378■東中洲夜景(昭和40年頃)
F3379■東中洲と西大橋(昭和40年頃) F3380■那珂川の夕景(昭和40年頃)
F3381■那珂川河畔(昭和40年代) F3382■西大橋と那珂川(昭和50年代)
F3383■福岡玉屋上空(昭和31年頃) F3384■那珂川河畔(昭和29年頃)
F3385■那珂川河畔の夜景(昭和32年) F3386■東中洲の夕景(昭和30年)

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