明治43年に貫線(明治通り)が完成して市民の足として親しまれた。
 明治43年3月9日に開業した関西資本の福博電気軌道(貫通線=明治通、呉服町線=博多駅間)に続き、循環線を開設した地元資本の博多電気軌道の順次開通で市内電車網が整い、福博の町は急速に都市として発展する。以後、城南線など順次開通し昭和30年代には最盛期を迎えた市内電車であったが、モータリゼーションの波に押されて廃止論が浮上。貫通線・呉服町線が昭和50年に廃止、循環線も昭和54年2月に全廃となって福岡市の市内電車は65年の歴史に幕を下ろした。
 福博の絵葉書をみるとき、最も目をひくのは市街地を走る市内電車の姿である。都市交通の象徴である市内電車の存在は、商都博多の魅力を一層引き立て、市内に点在する観光スポットへの誘導も担っていた。観光絵葉書に市内電車の写った絵葉書が多い理由である。福岡大空襲があった翌日には、路線を復旧して市内電車は走ったという。都市交通の鏡であった電車、廃止後現在に到るまで市内電車を知る方々に聞くと「地下鉄に変わって便利にはなったが、車窓から見える繁華街の賑わいを観て、ちょっと立ち寄ろうかと思うことは無くなった。地下鉄は町の賑わいには関係ないね。」という意見もよく聞く。地下鉄が目的地への単なる交通手段であるのに対し、市内電車はゆっくりと走りながら町の魅力を乗客に見せていたのだ。



往来に櫛比する繁華街東中洲(昭和10年頃)

FF3301■今川橋福博電車終点(明治末) FF3302■営門前の電車(明治末)
FF3303■九州日報本社前(昭和初期)万町交差点 FF3304■天神交差点(昭和10年)松屋方面を望む
FF3305■天神交差点(昭和10年)渡辺通り方面・東邦ビル屋上より FF3306■天神町界隈(昭和10年)岩田屋屋上より
FF3307■天神町界隈(昭和25年)岩田屋屋上より、復興中風景 FF3308■天神町(昭和27年頃)旧県庁前・現アクロス福岡前
FF3309■天神町交差点(大正末)東邦電力ビル FF3310■天神町交差点(昭和初期)
FF3311■天神町(昭和30年頃)岩田屋、山一証券 FF3312■岩田屋百貨店(昭和14年頃)
FF3313■天神町(大正中期) FF3314■県庁の前(大正中期)
FF3315■軌道橋を渡る電車(大正初期)須崎橋 FF3316■博多那珂川河口鉄橋(大正初期)須崎橋
FF3317■西中洲(大正9年)旧大同生命ビル前 FF3318■西大橋と西中洲(昭和32年頃)
FF3319■西大橋(昭和10年頃)電車とボンネットバス、荷馬車 FF3320■天神橋の景(大正初期)
FF3321■天神橋及西大橋(大正初期)水上公園はまだ無い頃 FF3322■西大橋と東中洲(昭和10年頃)ブラジレイロ
FF3323■博多東中洲(大正中期) FF3324■東中洲(昭和10年頃)
FF3325■東中洲(大正10年頃) FF3326■東中洲(昭和5年頃)
FF3327■西大橋の往来(昭和10年頃)右の広告塔撤去後 FF3328■東中洲の広告塔(昭和7年頃)翌年、橋の架け替えで撤去
FF3329■東中洲(昭和30年頃) FF3330■川端町停留所(明治43年)開通直後の砂利道軌道
FF3331■川端町電車通り(大正14年) FF3332■土居町(昭和30年頃)右手は博多銀座
FF3333■博多駅(大正初期) FF3334■博多駅(大正10年頃)
FF3335■博多停車場(大正初期)二本ポール FF3336■博多停車場前(大正中期)
FF3337■博多呉服町通り(大正初期) FF3338■呉服町交差点(大正初期)
FF3339■呉服町通り(大正初期)二本ポール FF3340■呉服町(大正末)ヤナセ
FF3341■東公園の入口(大正初期) FF3342■福博電車箱崎終点(明治末)現筥崎宮前

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