国内でも最も早く航空交通が発達した福岡の空港小史
 福岡県内の飛行場では、大正期に完成し戦時中は特攻隊基地にもなった大刀洗飛行場が早く完成している。交通の要衝であり県庁所在地である福岡市近郊への空港設置要望を受けて、昭和初年には西公園下の福岡船だまりに福岡水上飛行場が完成し、大阪間に航空郵便が始まる。昭和5年3月、名島水上飛行場が完成し、ここへは世界遊覧飛行中のあのリンドバーグも降りたっている。大型クレーンで吊り上げられる様子や水上を飛び立つ様は、戦前の福岡の風物史にもなって、当時の観光絵葉書には必ず入っている。
 大陸との行き来が増加し、戦時色が強くなった昭和11年には雁の巣飛行場が完成。雁の巣飛行場を「福岡第一飛行場」とし、名島飛行場は「福岡第二飛行場」となった。雁の巣飛行場は当時、日本国内最大規模の空港で「東洋一」の偉容を誇っていた。戦後も朝鮮戦争時等に活用されたが、板付基地の日本返還に伴う福岡空港の本格整備により閉鎖。現在は広大な敷地の一部がレクリエーションセンターとなり、市民に親しまれている。最後の格納庫が2003年に取り壊された。
 現在の福岡空港は戦時下の昭和19年、福岡地域一の穀倉地帯であった席田・青木地区に建設計画が持ち上がった。席田(むしろだ)飛行場用地は付近の農民から強制収容され、東光町の福岡商業(福翔高校=のち野多目へ移転、現在は東福岡高校)で一方的な説明と調印式が行われたという。突然、立ち退きを言い渡された農民達はわずか10日後までに追い出された。滑走路等の建設は学徒動員、捕虜兵で進められたという。戦後、席田飛行場は連合軍に接収され、外国人には席田の発音が困難との理由から板付飛行場となる。朝鮮戦争を経て板付基地は常に大陸・朝鮮半島への前線基地となったが、昭和26年には日本航空の一番機・木星号が空港へ降り立ち、民間飛行場としての活動も始まり、昭和47年には日本へ全面返還された。

  
FAP01〜FAP06■名島飛行場(のち福岡第二飛行場、水上飛行場)
  
FAP07〜FAP12■雁の巣飛行場(福岡第一飛行場、水陸両用飛行場)
FAP13〜FAP15■福岡空港(席田飛行場、板付空港) 

名島飛行場(現・福岡市東区)
FAP01■名島飛行場(昭和10年頃) FAP02■吾国航空輸送上の重要地点たる名島飛行場(昭和8年)
FAP03■名島水上飛行場から立花山を望む(昭和8年) FAP04■福岡第59号と名島飛行場(昭和6年頃)
FAP05■スーパー水上旅客機・名島飛行場(昭和6年) FAP06■吾国航空輸送上の重要地点たる名島飛行場(昭和8年)


雁の巣・福岡第一飛行場(現・福岡市東区)
FAP07■福岡第一飛行場(昭和12年) FAP08■空の交通を誇る雁ノ巣国際飛行場(昭和12年)
FAP09■福岡雁ノ巣飛行場(昭和13年) FAP10■福岡第一飛行場(昭和12年)
FAP11■雁ノ巣飛行場(昭和12年) FAP12■雁ノ巣煙草号命名式(昭和15年)


席田〜板付〜福岡空港
FAP13■福岡空港(昭和40年頃) FAP14■福岡空港(昭和42年頃)

FAP15■福岡空港(昭和39年頃)

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