わたしたちのまち「東光」は、博多駅と福岡空港に挟まれた交通の要所です。校区の歴史や魅力を8つのグループで探しました。

東光小学校創立50周年に際して、校区の昔話や写真、古地図などの資料を集めました。このページでは、小学校ができた昭和31年から50年頃にかけての古い写真を紹介します。これらの写真は、50周年記念誌や記念カレンダーに掲載し、児童や地域で協力いただいた方々へ配布しました。また、今回作製した「東光おもしろマップ」PDF版にも掲載しています。











■堅粕1丁目踏切(鹿児島本線旧線)

堅粕1丁目の鹿児島本線旧線(昭和38年12月1日、現在の博多駅開業に伴う線路移設以前の路線)踏切から堅粕交差点(旧西堅粕)方向を望む。道路は国道3号線(昭和30年頃・東光公民館提供)。
現在は道路となっている旧鹿児島本線後。左の踏切写真は都市高速高架の下あたり。
■堅粕交差点

昭和32年、西堅粕会館の開館記念セールで賑わう現・堅粕4丁目の商店街。貸本屋など懐かしい店舗も見える。(東光公民館提供)
この通りにあった大正みそ家屋。2005年夏に取り壊された。
■堅粕橋と鉄道橋遠望

昭和50年頃、御笠川にかかる東光橋(空港通り)から堅粕橋と国鉄鉄道橋を望む。この界隈は幾度となく水害に見舞われ、度重なる護岸拡張・整備工事で景観は一変した。(東光公民館提供)
■大雪の朝、完成間近の現博多駅を望む

昭和38年冬の大雪の朝。現在は空港通り&都市高速道となった小道を登校する児童。遠くに完成間近の現博多駅(同年12月開業)駅舎が見える。(重松克寛氏提供)
■大雪の朝、製紙工場を望む

昭和38年冬の大雪の朝。現在の空港通り端から当時あった製紙工場を望む。煙突からは煙が出ている。(重松克寛氏提供)
■御笠川沿いのバラック家屋

昭和50年頃の御笠川、東光橋から川上の東比恵方面を望む。川沿いには終戦直後から目立つようになったバラック家屋がまだ残る。度重なる水害を防ぐための河川拡張工事により、景観は一変した。写真右側は合同庁舎や日経新聞、ハイアットホテル等がある現官庁街となっている。(東光公民館提供)
■小学校開校直後のかまぼこ兵舎教室

昭和32年、開校直後の小学校に旧米軍兵舎(かまぼこ兵舎)を再利用した仮教室が完成。急激な児童増で間に合っていなかった二部授業が解消される。昭和30年代前半、児童数は千人を超える(現在は250人)。(東光小学校蔵)
■小学校に待望の講堂(兼体育館)建設

昭和38年、校庭の一角に待望の講堂が建設される。それまでは卒業式は屋上、入学式は各教室で開催するなど不便を強いられていた。建築風景の向こうには旧福岡商業(現在は東福岡高校)が見える。建設風景は定点での連続写真により保管。(東光小学校蔵)
■御笠川沿いの今は無い町並み

昭和49年、比恵商店街へ通じる市道沿いの町並み。現在は河川拡張工事により右側の家屋は全て立ち退き、川沿いとなっている。河川工事終了後の2003年夏、この付近一帯はまたも河川の増水氾濫で水没被害を受ける。(東光公民館提供)
■鼓笛隊パレード

昭和39年、市小学校鼓笛同好会(平和台球場)出演後の市内パレード風景。東京オリンピックを間近に控え、福岡でも盛り上がっていた時期だ。今はなき路面電車も見える。(東光小学校蔵)
東光おもしろマップづくり委員会(創立50周年記念事業)
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