博多・冷泉地区(旧冷泉小学校区)まちづくり戦後史 1945〜2007

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博多・冷泉地区プロフィール
 冷泉地区は、福岡市博多区の旧冷泉小学校区(祇園町・冷泉町・店屋町・上川端町・中洲)を指します。博多総鎮守・櫛田神社のお膝元、いわゆる旧博多部の中心地域です。地域の約60%が戦災に合いましたが、戦後は現在の5ヶ町それぞれが独自の発展を遂げ、区域に3つの百貨店を有し福岡市の都心として永く栄えました。しかし昭和38年12月、現在地へ博多駅が移転して以降は町の様相が変化し、バブル期の地価高騰の際には地上げにより多くの住民が地域を去りました。
 古くは邪馬台国時代の奴国、遣唐使船出の地、商人の町として千年以上の歴史を持ち、地区名の「冷泉」は古代の冷泉津(港)から名付けられました。戦乱で荒廃した博多を再興した太閤秀吉の町割に端を発する「流れ」と呼ばれる町区は櫛田神社(祗園社)の夏季大祭「博多祗園山笠」に引き継がれ、地域の絆維持への重要な行事となっています。

 都心人口の空洞化により1998年には旧博多部の4小学校が統合され、博多小学校が開校しました。秀吉時代以降、江戸時代においても独立した商人主導の「自治都市」として機能してきた旧博多部においても、小学校統合に合わせて自治連合会の統合も再三検討されましたが、4地区の歴史や成り立ちを考え現在に到るまで独立した4自治区としてまちづくりを続けています。
 博多に最も活気のあった昭和30年代、冷泉地区は以下の特徴がありました。それが故に昭和41年の町界町名改正の際に5ヶ町への再編、○丁目を配さない単独町名が多く採用されています。
 ○祇園町:旧博多駅の駅前町として栄えた地域。旅館やホテルが林立し、駅前歓楽街であった。
 ○冷泉町:櫛田神社の門前町として栄える。旧博多駅に近いエリアには旅館が多数あった。
 ○店屋町:古くから市や商店が建ち、戦後は繊維問屋中心に一大問屋街となった。
 ○上川端町:戦前からの博多五町商店街のある地域で、川端中央商店街、上川端商店街、博多銀座など商店が軒を連ねた。
 ○中洲:博多の近代化の中心であった北部の中島町と、明治末以降に映画館やカフェが立ち並ぶ一大歓楽街となった東中洲一帯。

↑東中洲の電車通り(昭和5年頃)
↑新築の二代目博多駅(明治43年頃)
↑玉屋百貨店屋上より博多川端町・土居町を望む(大正末)




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