博多・冷泉地区(旧冷泉小学校区)まちづくり戦後史 1945〜2007


福岡大空襲と終戦
福岡進駐と接収統制
戦後復興計画
商店街・歓楽街の復興
町世話人制度
博多祇園山笠と地域住民
博多松ばやし・おくんちと住民
昭和30年代のにぎわい
町界町名改正・流存続の危機
自治連合会の発足
博多駅の移転
店屋町界隈の変化
市内電車の廃止と地下鉄登場
櫛田神社と冷泉地区
地域教育
冷泉小学校の統廃合
地域の活動(運動会・成人式etc)
昭和から平成へ
町世話人制度廃止と自治協発足
地域の課題と未来


トップページへ
博多・冷泉地区の戦後と自治連合会40年のあゆみ
昭和から平成へ
消えていく町の顔、登場する新しい地域像。

 昭和から平成へ時代が移り、冷泉地区を含む都心部でも大規模な再開発事業が行われる。周辺では昭和六十三年の千代地区の再開発「パピヨン」に続き、平成元年の天神地区のソラリアプラザ、天神イムズビル等の開業による天神流通戦争が活発化する。
 平成三年には博多ふ頭に「ベイサイドプレイス」が開業するなど、集客施設や商業施設の新設ラッシュにより、従来の川端地区や中洲地区の商業施設は顧客を奪われ、商都博多中心地の沈下が目立つようになる。
↑取り壊し中の旧福岡玉屋ビル(平成16年)

 博多部でもようやく下川端地区の再開発計画が立ち上がり、平成十一年三月に「博多リバレイン」として開業する。同施設には歌舞伎の「博多座」をはじめ、「福岡アジア美術館」などの文化施設が入居し、新たな博多中心部の魅力となった。
 その間、博多リバレインへの入居を巡り、永年商都博多のシンボルでもあった福岡玉屋は混迷する。当初は玉屋を各テナントに添えた計画であったが、最終的にリバレインへの玉屋入居は実現せず、同じ年の七月に七十四年の歴史を閉じた。空家となったビルも平成十六年に取り壊させ、跡地には平成十八年に「ゲイツ」ビルが誕生し、一帯の景観は激変した。
↑「博多町家」ふるさと館恒例の夏祭り(平成14年)

 博多部全体の活性化が急務となり、平成六年にはまちづくり協議会が発足、翌平成七年三月に「第一回灯明ウォッチング」を開催するなど、施設面だけでなく行事面の取り組みも活発化する。
 櫛田神社近くに博多の歴史体験施設として「博多町家ふるさと館」計画が進んだのも同時期である。博多松ばやしや祇園山笠をはじめ、博多張子や博多独楽、博多曲物、博多人形などの伝統工芸が体験できる同施設は平成七年八月に開館して、新しい冷泉地区の「顔」となった。
 また、平成元年の「アジア太平洋博覧会・よかトピア」をはじめ、国際都市化を進める福岡市は大規模な行事を次々に招致、平成七年のユニバーシアード福岡大会では、冷泉地区はカナダの応援隊となり、選手らとの歓迎会など地域による催しも行った。
↑灯明ウォッチング(平成16年)




ご使用になるブラウザはInternet Explorer5.0、Netscape Communicator5.0以上を推奨しています。
掲載写真・地図等の無断転用はご遠慮ください。
Copyright(C)2007-2008 Internet Hatsusaburo Musium. All Rights Reserved.