博多・冷泉地区(旧冷泉小学校区)まちづくり戦後史 1945〜2007


福岡大空襲と終戦
福岡進駐と接収統制
戦後復興計画
商店街・歓楽街の復興
町世話人制度
博多祇園山笠と地域住民
博多松ばやし・おくんちと住民
昭和30年代のにぎわい
町界町名改正・流存続の危機
自治連合会の発足
博多駅の移転
店屋町界隈の変化
市内電車の廃止と地下鉄登場
櫛田神社と冷泉地区
地域教育
冷泉小学校の統廃合
地域の活動(運動会・成人式etc)
昭和から平成へ
町世話人制度廃止と自治協発足
地域の課題と未来


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博多・冷泉地区の戦後と自治連合会40年のあゆみ
運動会・成人式・敬老会…地域の活動
地域の絆に触れる瞬間…
出会いや再会の場だった。

 冷泉地区では戦後も早い時期から町民行事が復活している。昭和30年代は行事のたびに記録写真をアルバムに綴じてあり、体育祭、成人式などの様子が判る。当時はまだカメラが一般家庭に普及する前であり、写真自体が貴重とされていた時代である。
 現在続いている「冷泉校区大運動会」は昭和63年を第一回として現在まで続いているものであるが、それ以前にも「体育会」「体育祭」として断片的に行われている。記録写真としては、昭和31年の「第一回体育会」から41年の「体育祭」まで数年分が残り、当時の面白い競技や町民の活き活きとした姿が写されている。
↑若手の親睦キャンプ(昭和38年頃)

 昭和30年代は旧厨子町や新橋町に公民館の別館があり、特に昭和33年から35年にかけては、「都心部の子ども会運営」「青年活動」に関する研究発表が行われている。これを受けて、翌35年には冷泉地区の各町に子ども会が結成され、地域としても子ども祭りや子どもソフトボール大会など子どもに重点をおいた活動も活発となった。
 昭和34年には公民館の八つの委員会の中に「文教」「成人」「青少年」「社会体育保健」などが設けられ、「生活学級」や「体育レクリエーション」など多彩な催しが行われている。
 当時は西鉄ライオンズが強く、野球やソフトボールが活発で、商店や地域単位でも野球チームが作られたほど。地域でも「流れ対抗ソフトボール大会」や「子ども会対抗ソフトボール大会」などが開催されている。
↑成人式恒例だった親睦ダンス(昭和39年)

 昭和37〜38年になると、東京オリンピック等で活躍した「東洋の魔女」日本代表の影響からか、「冷泉バレーボール大会」が開催されている。 昭和39年には、冷泉地区の子ども会で取り組んだ地域の清掃奉仕活動が、新聞やテレビで大きく取り上げられ注目を集めている。
 敬老会や成人式も戦後すぐから毎年開催されており、昭和時代は敬老会を毎年11月4日前後に開催している。現在のように九月の敬老の日に開催するようになるのは平成に入ってからである。
↑第一回校区体育祭(昭和31年)

 昭和30年代から40年代初めの成人式では、フォークダンスのイベントが催され、冷泉公園で新成人が恥ずかしそうに踊る姿が写真で残されている。
 昭和53年以降は「ゲートボール」が盛んとなり、各地で開催される大会に積極的に参加しているなど、地域行事には時代の流行も見られ、その意味でも貴重な記録である。
↑夏の楽しみ納涼船(昭和41年)




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