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博多・冷泉地区の戦後と自治連合会40年のあゆみ
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櫛田神社と冷泉地区
お櫛田さんは、いつの時代も
博多・冷泉地区のシンボル。
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博多の総鎮守・櫛田神社は、いつの時代も常に博多人の心のよりどころである。博多祇園山笠を筆頭に博多おくんちや節分祭など神社の神事は、冷泉地区住民にとっては欠かすことのできない生活の一部となっている。
昭和二十年の終戦は神国日本の終幕を意味しており、敗戦によって全国の神社は受難の時代を迎えた。同年十二月十五日にGHQより出された「神道指令」による政教分離で、神社は国家から分離され、明治初年以来続いた国家管理が終わった。
同十二月二十八日には宗教法人令が発令され、各神社は宗教法人として発足することとなり、それまでの官国幣社以下すべての社格が撤廃された。
櫛田神社も翌昭和二十一年七月七日「宗教法人櫛田神社」として承認され、神社の維持経営は自発的な個人の信仰および奉納金などにより行われることとなった。昭和二十二年には伊勢神宮を本宗とし全国約八万社の総意で「神社本庁」が設立されている。
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↑旧公民館地鎮祭(昭和51年)
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昭和二十四年九月、同年四月に結成された博多祗園山笠振興期成会の総会席上で、当時の納屋宮司は「本年が二十五年目毎に斉行する櫛田神社の下遷宮の当年であるが、現況からは祭事の厳修も困難視されるので、第一に、推進母体として戦火で四散した氏子崇敬者の結集が先決要件である」旨を力説されたのを受け、十月七日には「櫛田神社氏子崇敬者結成準備世話人会」が結成され、全博多の町世話人にこの件が通知協力方を懇請、各流れ山笠の役員や町民有志の尽力により博多の町々に新制定の「町宮世話人」が就任するとともに「氏子崇敬者会」が各町で結成され、遷宮祭斉行に曙光をみるに至ったのである。 同会を基盤に十二流れから各二名の新鋭「宮総代」二十四名が選出され、十二月五日に就任奉告祭を執行、全員一致で遷宮祭準備に邁進することとなった。
昭和二十六年には明治維新以来中断されていた節分祭が再興され、同年十二月には夫婦恵比須祭も復活しているが、その何れも冷泉地区からも氏子有志が積極的に動き、櫛田神社の再興即ち博多の町の復興と重ねて、地域一帯での協力であった。
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↑櫛田神社節分祭(昭和57年2月)
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博多おくんちが毎年十月二十三日に行うことと決定された昭和二十八年には、地元百貨店や商店街、中洲歓楽街が神社と一体となって「博多おくんち会」を結成し、多彩な行事や売り出しで大盛況となり今日への復興発展の足がかりとなるなど、櫛田神社は地域繁栄の基礎であることは地域住民が一番熟知している事である。
櫛田神社はまた、地域教育の場でもあり、おくんちの奉納柔道大会やカルタ大会など、地域の子供達の生活の場、修練の発表の場としても親しまれてきた。何より子供の頃から祇園山笠に参加することが一番の地域教育であることは、地域住民皆が納得するところであろう。
周辺の町並みが変化しても、住民構成が変わっても、櫛田神社の存在そのものが博多人にとっては大切である。櫛田神社を中心に懐かしい顔に出会え、地域の絆が今も保たれている。 |
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↑第48回式年遷宮・上遷宮記念(平成12年10月)
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