博多・冷泉地区(旧冷泉小学校区)まちづくり戦後史 1945〜2007


福岡大空襲と終戦
福岡進駐と接収統制
戦後復興計画
商店街・歓楽街の復興
町世話人制度
博多祇園山笠と地域住民
博多松ばやし・おくんちと住民
昭和30年代のにぎわい
町界町名改正・流存続の危機
自治連合会の発足
博多駅の移転
店屋町界隈の変化
市内電車の廃止と地下鉄登場
櫛田神社と冷泉地区
地域教育
冷泉小学校の統廃合
地域の活動(運動会・成人式etc)
昭和から平成へ
町世話人制度廃止と自治協発足
地域の課題と未来


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博多・冷泉地区の戦後と自治連合会40年のあゆみ
自治連合会の発足
校区住民の融和親睦、
自治活動と地域の発展のために。

 昭和四十一年の町界町名改正を経て、冷泉地区では翌昭和四十二年に自治連合会が発足する。それまでは公的教育機関である公民館の運営審議会を中心に、住民による自治組織も営まれていたものを、公民館活動に関するものと住民自治に関するものに分割し、それぞれの役割を明確化する目的であった。新町名・町界となり町の組織が再編成されたことを機に、町内会組織が落ち着きを見せた時期の発足であった。
↑発足5周年記念植樹碑(昭和46年)

 自治連合会結成の動きは、昭和39年の公民館運営の部制廃止に始まる。それまでは公民館運営に対して、部会の中に「町の自治」に関する部門を設けて対応していた。翌昭和40年4月には運営審議会において「冷泉公民館の組織運営に関する改正」を決議、五月には自治連合会の素案である「冷泉校区社会教育推進協議会」の検討を開始している。
 町界町名改正直後の昭和41年4月には新町内会長懇談会などを経て8月26日に「自治連合会研究委員会」を開催、この時初めて自治連合会という名称が提示された。
↑博多川の清掃(昭和39年)新橋付近、美化推進の記録写真

 自治連合会研究委員会は翌昭和42年3月まで段階的に開催され、委員会において組織の構成や規約整備などが行われた。当時の手記や規約・組織図の素案には、各町各人の意見をとりまとめる様子が詳細に残されている。この研究委員会をまとめていった面々が自治連合会結成時の委員を勤めた富永稔氏、川原俊夫氏、秋丸祐一郎氏、柴田豊司氏、田中常三氏らである。
↑国体道路沿いの清掃(昭和39年)美化推進の記録写真

 昭和42年3月31日には第一回の役員会が開催され、発足決議と井上吉左衛門氏を初代会長へと推薦する決議が行われた。その後他校区の組織や活動を参考に冷泉地区独自の組織・運営形態の詰めの審議が行われ、8月24日の役員会において諸案が承認され、自治連合会が正式に発足。町内会長会を経て自治連合会結成総会は昭和42年9月13日、17時より櫛田会館にて89名が参加して行われ活動開始、諸規約が施行された。運営する委員会としては総務・財務・事業・自治・庶務の五つで構成され、基本は現在の構成とほぼ同じである。初期の記録を見ると自治連合会の結成日は役員会で承認された8月24日となっている。
 自治連合会発足と同時期の昭和42年8月1日には、中洲町連合会も設立されており、昭和42年は冷泉地区において現在へと繋がる自治組織元年となった。




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