博多・冷泉地区(旧冷泉小学校区)まちづくり戦後史 1945〜2007


福岡大空襲と終戦
福岡進駐と接収統制
戦後復興計画
商店街・歓楽街の復興
町世話人制度
博多祇園山笠と地域住民
博多松ばやし・おくんちと住民
昭和30年代のにぎわい
町界町名改正・流存続の危機
自治連合会の発足
博多駅の移転
店屋町界隈の変化
市内電車の廃止と地下鉄登場
櫛田神社と冷泉地区
地域教育
冷泉小学校の統廃合
地域の活動(運動会・成人式etc)
昭和から平成へ
町世話人制度廃止と自治協発足
地域の課題と未来


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博多・冷泉地区の戦後と自治連合会40年のあゆみ
博多松ばやし・博多おくんち
町を元気にした祭りの再興と発展。

 戦前、戦局の悪化に伴って昭和13年で中断していた博多松ばやしであったが、終戦直後の昭和21年5月には「第一次博多復興祭」が開催され、三福神を中心にした「松ばやし」と、賑やかなどんたく行列が再開され、瓦礫の博多町中を賑やかに練り歩いて復興の気運を高めた。この時、出場者は焼失した肩衣を紙を切り抜いて作り、三福神の馬がいないので紙の張りぼての馬で伝承の精神を活かしていた。
 明治維新の際の「神仏分離」によって中断されていた櫛田神社の「節分祭」であったが、昭和26年2月4日に再興され、以来参詣者も年々増加して今日の盛大さを見るに至っている。昭和42年からは表門に加えて北門にも高さ7メートル余りの「お多福面」が登場、商売繁盛、無病息災を祈りながら面の口をくぐる博多っ子の姿も多くなった。
↑博多おくんち商工祭の光景(昭和36年)
 さらに戦争で中断されていた夫婦恵比須祭も昭和26年12月3日に復活、師走の博多歳時記風景となった。昭和26年から奉賛柔道大会が始まった「博多おくんち」だが、昭和28年からは毎年10月23日に行われることと決定、これを機会に地元デパートや商店街、中洲歓楽街関係者が神社と一体となり「博多おくんち会」を結成し、秋の博多三大行事のひとつとして豪華絢爛な「おいらん道中」や武者パレードなど、多彩な奉祝行事が行われるようになった。




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